バーチャルとリアルの狭間に

2017.11.27

バーチャルとリアルの狭間に -5-

万人に関わり重要な問題であるのだけど、もっとも無視されている問題でもある。仮想上のアイテムと物理上のアイテムの間で、同一性を確認する方法と、同一である続けてるかのトラッキング方法が、基本技術。自然科学と社会科学の接点でもある。社会科学上の課題ではあるのだけど、当たり前に目に見えてるものが本物かどうか、どう見えるのか、自然科学の観測理論も必要になる。
見えたものが真実と信じてしまったら、科学技術の進歩は止まってしまう。信じると言う言葉を使ってしまうと、なんかの宗教になってしまうし、疑うことが、科学技術進歩の原動力でもある。物理上だけの社会であれば、自然法則は、実験式のサマリーでしかない。ゲーデルの不完全性定理の配慮も必要でありながらも、日常では、まあ使えれば良いと言う実用性が優先されている。
昨今の仮想上のアイテムと物理上のアイテムの同一性の問題は、仮想上のアイテムを唯一扱っていた脳組織の情報処理と、現実の認知と言う問題に帰着していたが、脳組織以外の計算機上に情報処理とも同様な問題を共有するようになってきている。基本的に、脳組織上の認知されるアイテムが、現実に存在する、必然性はないが、ユースケースが、文脈を形成して、対応付けになってくる。最終的には、法文、言葉として定義される。
本来、日常生活におけるなんらかの認知は、万人、特に、科学技術を謳う族は、疑い続けなけばならない。
だからと言って、精神障害になっても、私がなんら保証するもにではないが、問うものには、理解しているかを問い、ひどい話に対して、証明を求めることは間違いない。

Dlhktwbuiaak4kp
インターネットを介した本人確認や、詐欺など、物理世界の経験を無条件に使い過ぎてることでの不都合でしかないだけど、根拠のなお本人主観絶対主義というべきか悲しい状況だ。例えば、本人確認は、本人自身では出来ない、他人が行こなうものであるからね。



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2010.04.25

バーチャルとリアルの狭間に -4-

~ 著作物における登場人物にも若干人格権あり ~
 大分、昔に、どこかに同じような内容を書き残していると思うのだが、見つからず、再度、ここに、内容を見直して、ここに書き残そう。要は、現行の著作権法に基づくと、著作物で登場する人物にも人格権相当があるという話題。バーチャル上のキャラクタだが、実世界の人間と同様に、人格権を持つという、まさに、バーチャルとリアルの狭間の問題なのである。

(パート1) まず、気付きの発端は、2002年頃、コンテンツ流通関係の仕事をしていた関係で、コンテンツの受託制作の契約書の査読をだのまれたこと。この時、勤め先の法務関係部署からの指摘なども加味して、著作権には、色々な観点が有るり、もう一段深く考えるべしと、気が付かされた。
特に、著作権において、譲渡可能な権利と譲渡不能な権利があり、受託制作の契約上、譲渡不能な権利をどう扱うのか。
 譲渡不能な権利とは、例えば、著作者が、著作物の著作者である権利。これは、事実に基づかざるおえないので、著作した本人以外になれない(但し、市場向けに偽装することはできるが、法的に、本質的ではない)。このこと自身は、特に、問題を起こすとすれば、著作者が犯罪を犯したり、反社会的なイメージを有する状態になった時に、市場において、その著作物への評価に影響が出る。この点は、依頼先の与信を、ちゃんとやること、通常の商取引の範囲を超えない話で済む。
 さて、当時、契約書作成で、話題になったのは、「著作者の人格権の行使への対応」ということ、、、、

(パート2) 著作権の中で、著作者が他人に譲渡できない権利に中に、人格権があると。これは、そもそも、本人の基本的人権の構成要素であるためだ。
 この人格権が著作者によって、自由に行使されると、受託制作で作ってもらった著作物でも、著作物の利用において、微々たる修正でも、必ず、著作者の確認を強いられるなど、作業上、重たい負担が発生するので、契約書では、例外条項は含めるにしても、基本的には、人格権の行使をしないような条項を付加する。
この人格権と著作物の間の関係をブレークダウンすると、著作物を特徴づける要素を、他人の利用において、勝手に変更したり、否定するようなことが、著作者の人格権を侵害するという考え方になる。著作者は、生みの親であり、変更不能である状況で、その著作物が、著作者の人格を否定するような利用がなされたときに、顕著に行使される。例えば、平和主義者の著作者作ったマスコットキャラ(著作物)を、好戦的なキャンペーンのマスコットに使われことなど、使われ方で、著作者の人格が、第三者へ、著しく誤って認識される事態などである。
さて、ここで、著作物を特徴づける構成要素が何んであるかが、興味深く、、、、

(パート3) 著作物を特徴づける構成要素が何んであるかが、興味深い。。。。
例えば、人間を模したマスコットキャラクタでは、性別、年齢(数字に依らなくても、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、成人、未成年、児童など)、性格、容姿、癖や習性/仕草、ファッションなどが
考えられる。何か、ストリー(作品)の登場人物であれば、そのストーリの世界の中でも、職歴やプロフィールもある。この場合、登場人物を部分利用によって、その作品が、台無しにされたり、矛盾が生じ、作品性が失われるなることも、人格権の行使の対象となる可能性が高い。
著作物の利用に対する人格権の行使に関しては、著作者が、作品の創世に際して、著作物を特徴づける要素を、出来るだけ、定義して宣言してくれていれば、将来のトラブルに関して、法的な処置が円滑になるとも期待が出来る。まあ、当時の制作依頼先の著作者は、キャラクタの動きや振りに関して、こまごま自分で指定しないとと、自分の作品としての質が維持できないというような「人格権の行使」を行ってきていた。これは、大分、負担のかかる著作物といういうことでもあったが、当時の利用は、期限付きのビジネスのフィジビリティスタディのためのインターネットポータルでの利用という、短期で狭い範囲での利用でもあり、ある程度の著作者の事前チェックを受ける条件で、契約を結んだようだ。でも、著作者の作品へのこだわりを否定するものでは無いのだが、受託制作においては、金銭的な割り切りと、黒子的な役割が求められる。
 また、この受託制作に関しての反省点としては、依頼者と著作者の間の信頼関係が重要であること、依頼者も、著作者への丸投げでなく、発注仕様として、キャラクタ の人格や利用シーンを、言葉で説明し尽くすべきであること、何が好きで、元気になるとなど、絵は描けなくても、言葉を尽くして、著作者へ伝え、理解を得る べき、そして、それを発注仕様として契約書に添付しすることで、言い尽くした範囲で、利用の許容を得る努力をするのが、両者にとって、蟠りが少ない取引と なると感じている。
 さて、本題としては、著作権に基づき、作品の登場人物が持つ特徴を、改変したり、否定する利用は、原則、著作者の人格権を侵害する行為と考えられる。また、当然、著作権侵害の訴訟で、類似性の客観的判断として使われる他の特徴も含まれる。だとすると、、、、

(パート4) さて、本題としては、著作権に基づき、作品の登場人物が持つ特徴を、改変したり、否定する利用は、原則、著作者の人格権を侵害する行為と考えられる。。。。
これを、割り切って考え直したら、作品に登場する人物が、個別に人格(著作者の定義)を持って良いて、実際の人間同様に、人格権を持っているかのうように考えるのが、判り易くなると気が付いた。
そうなると、作品の登場人物やマスコットキャラの人格(特徴)を定義する要素は、法的な効力をもって、定義可能と読み替えることもできる。構成要素として、例えば、性別や年齢を、著作者が決めていれば、それが、法的な効果を持つ(逆にいうと、これは、法律の限界)。また、ベースのストーリーあっての登場人物であることとは、例えば、登場人物が、XXX小学校に通う小学生であれば、それを、高校生と読み替えてしまうと、ストーリーにおけるその登場人物を登場させる必然性は消滅し、作品性に矛盾が起きる。なお、容姿(画風など含む)だけを特徴要素にすることは、実世界でも、容姿が、中学生な成人とかもいし。容姿が、老人の児童もいるので、法的に、実世界の人間を否定する行為に陥る危険性も大きく、基本的な方向性としては、適切でない。
現法上、著作権法と基本的人権が主だが、それらに基づくと、著作者の人格権をHUBにすることで、作品の登場人物やマスコットキャラは人格権を有するかのように扱える可能性が高いと感じている。。。。

(パート5) 現法上、著作権法と基本的人権が主だが、それらに基づくと、著作者の人格権をHUBにすることで、作品の登場人物やマスコットキャラは人格権を有するかのように扱える可能性が高いと感じている。。。。

 最後に、某自治体の条例案で、「非実在」などいう法律では適切でない言葉を利用した条例案が再審議中ともなっているが、これは、大分、法律の仕組み上、極めて、よろしくない。また、現法上、ベースすべき著作権法や基本的人権(憲法)を、無視した唐突な議論も、極めて、よろしくない。
 流通上、今の時代において問題(将来も問題かは別で、継続的な見直しが必要)のある著作物(小説、漫画などの形態に依らず内容が対象とし、法平等性も担保すべき)に関して、規制をかける上で、法的に、円滑な処理を期待するのであれば、著作物の登場人物やマスコットキャラクタの人格権の行使の要素として、性別、年齢を定義/明示することなどのガイドラインや、明示された情報に基づき、流通販売方法に関するガイドライン/規制を実施するというような観点もある。
但し、市場流通しない著作物に関して、規制すべきではない。この問題は、実害が、発生ない状況での取り締まりは、思想の自由という基本的人権を侵害する可能性が高い。
とりあえず、現状、何の規制もない状況であれば、意味も無く潔癖な規制を発案する必要性も感られない。実現が確実に可能な範囲での規制から取り組むべきで、実用性もなく、過度に潔癖な規制を発案(基本的人権の侵害の恐れもあるような構想)は、市民生活を混乱させる迷惑な行為としか評価できない。

もう一つの混乱要素として、法文で、「非実在」の意味の言葉が使われるケースで、虚偽や詐欺、文書偽造というい事実の表現で、これとも、区別される必要が あること。詐欺で良く出てくる架空の人物とかも、「非実在人物」となる。言葉の乱用で、裁判も、混乱する状況になりかねない。

この記事の結論の1つとしては、「非実在」という言葉は、不要でかつ、法文や条例文での使用は厳禁、「著作物の登場人物」で良いという結論。何と言っても、実在 しないものを、法文で定義するというのは、大分、変に感じてます。別の分野でも、同じようなアナロジーで、この手の法文が乱用されることを、大きく危惧するところです。過去、廃案なった類似法案としては、確か、共謀罪ってものあった。これも、大分、慎重な精査が必要なものだ。

もう一つの結論は、著作物の登場人物と言えども、人間と同様、尊重しましょうということ(著作者を介して、その登場人物に人格権があるものと同等の法的な権利の行使が可能であること。実用上の見なし人格権とでも言うか)。

最後に、流通に関する規制と見たときに、漫画だけというのでは、いかん話です。流通する全ての著作物(小説、漫画、静止画、オーディオ、ビデオ、放送)に、平等に課せられる規制にすべきでしょう。どこぞの特定な事業者利益を守るような不公平感が漂います。

まあ、個人的には、大分、法 律上の興味深いネタで、興味本位のレベルだと、法律って、面白いよね。


(余談1) 著作物の登場人物の人格権相当の特徴として、登場人物の年齢設定が、実時間と同期する必然性はない。でも、国内の著作権法では、世に創世されてから、50年間の寿命がある。著作物の登場人物には、50年間に限り、人の魂が宿っていると、解釈し直してもいのかな。国際的には、将来的に、寿命を、75年間とかまで、長くしようとなどという活動も有るらしい。そうなると、人の寿命とも変わらなくなるね。

(余談2) この記事の心を汲んで、法学的に根拠のある論文(建設的な内容を望むけど)など出された方がおられれば、この記事に、コメント下さい。実用的な観点としても、面白いよね?

(余談3) 著作物に関わるポイントは、思想(コンセプト)⇒内容(シナリオ)⇒表現(感情、演出)⇒著作物(何らかの媒体)の4つ。著作物は、結果。思想と表現の自由は、基本的人権で保証されているが、内容の自由は、語られていないと思っている。例えば、他人の権利を著しく侵害する内容を実行する自由は、人権尊重という観点で、保証されることはない。他人の権利との均衡を取るという制約が、内容の自由には、絶えず課せられている。表現の自由とは、例えば、戦士が戦死したという内容を考えると、表現の選択として、「英雄と褒めたたえる」か、「捨て石とされて悲しむか」の2つが考えられる。著作者には、両者の重みを変える自由度がある。この重み付けが、他人に束縛されず、作品において、その著作者の意思に依って決定する自由のことになる。今回の規制は、思想でもなく、表現でもなく、著作物の内容による流通の規制に関するべきものと考えられる。あと、報道の自由に関しては、「内容」が「事実」に読み替えるものと考えてますが、この余談の対象外としてます。

(余談4) 「アンパンマンのやなせたかし先生が先頭を切って反対されている事こそ」、頭を冷やすと、少年健全育成だけ でなく、作品(著作物)内で、犯罪を犯している内容を含めて良いか悪いか、その内容をリアルに表現して良いか悪いかという論点に帰着する。もし、これが禁止なら、サスペンスなども、禁止ジャンルだね。あと、例えば、アンパンマンの頭が取れて、子供が、それを食べてしまえるなんて、背景を知らない警察官がみたら、残酷物語 で、即、販売停止というリスクも考えられる。ビジネスは、最悪の状況をヘッジするように進められることを大前提に、このようなリスクは、元から断つしかないと考えるに違いない。何と言っても、自治体では、無理難題で、荷が重すぎる。

(余談5) 現実的な規制と考えると、まず、今回の目的と目標が、 「青少年育成」というのであれば、(観点1)まず、対象の青少年に、年齢不相応の作品(児童ポルに限らず)が、店頭で目に触れないようにする販売方法への規制(出来るだけ、具体的な販売方法をガイドラインで開示)と、(観点2) 次に、犯罪を助長し、「リアルの児童ポルの撲滅」を妨害するような悪質な作品(著作物)として、明確に、作品中(漫画であって文章があるので)の文章表現(タイトル含め)から、児童への性的行為(出来れば、虐待行為一般とすべき)が含まれていると判断できる作品の売買を制限もしくは禁止するとこまでが限界と思う。法律は、あくまでも、著作物(著作権法で定義される実存)に、こだわるべき。人間が、睡眠中の夢で、児童ポルを見ていない確率はゼロでなく、深層心理に、本人の制御はきかない。睡眠中の夢を懲罰の対象にしなければならないし、思想の自由の侵害にも通じる。あと、児童の年齢の上限は、最低でも、国内法で結婚可能な最低年齢を超えてはならないので、男女差異があるとしても、16歳未満でなければならないだろう(十分条件ではないことは要注意。ちなみに、16歳未満は、ちょうど、だぶってなければ、義務教育対象年齢以下となっている)。そうしないと、社会と法律の間に、大きな矛盾が発生する。


(余談6) Twitterより抜粋: 自民党が公約した「青少年健全育成基本法」の中身が東京都の規制よりスゴイ内容らしい「漫画・アニメ・ゲームなどの各メディア業界に「青少年有害社会環境対策センター」という天下り機関を設置し「青少年に有害と思われる作品」を監視・規制していく」 http://is.gd/d3xG8 (発信: LTW)
  • 税金の無駄使いのハブになるのが落ちなので、映倫や日本著作権協会での番号管理の拡張などでいいじゃんとか言いたい。 何にしても、自民党に投票する事はないけど。 (at)LTW 自民党が公約した
  • なんか、公約の対象にする程の事なのかどうか、大分、疑問も感じてきている。誰かの利権のために動いている可能性が疑われるね (at)LTW   自民党が公約した
  • 本質論がさきだね。実害や実犯罪の原因の一部になっている因果関係の根拠とは? @lain_the_wired 自民党が公約した
  • 今日、実は、駅で、小人症と思われる女性(身長が1メール弱)を見かけました。作品を見かけだけで判断するといいう方法論は、実物の人間に差別につながる危険性も大きい。内容を精査する必要もあるとなれば、小説も当然対象。 (at)LTW 自民党が公約した
  • 結局、この前に条例も、実物の人間の差別を、ものともしないモンスタペアレントからの発案と考えたい。モンスタペアレントの対策も急務だ。 (at)LTW 自民党が公約した
  • 国民は法の基の平等が保証されるのであって、法が、理不尽に、人を差別する基準になっては、本末転倒!
  • 法の基の平等としても、「モンスタペアレント」は、実害を出している実体の総称なので、人の差別とは違う。

(余談7)市井の評論家「藤野 滋」という方のメルマガの引用(オリジナルを探してます):  12月15日、東京都議会は、わいせつな漫画やアニメに対する規制強化を盛 り込んだ「東京都青少年の健全な育成に関する条例」改正案を可決した。こ の改正を強く後押ししてきた石原慎太郎東京都知事は、以前の自著との矛盾 を指摘され、自著の方が間違った認識に基づく作品だったと持論を翻すこと も厭(いと)わなかったと聞く。だが、石原知事が誤った方向に変心したように 思えてならない。
いつも威勢のいい発言で注目を集める石原慎太郎知事だが、この原点といえ ば、一橋大学在籍中に執筆した短編「太陽の季節」で芥川賞を受賞した鮮烈 なデビュー劇といってようだろう。
「太陽の季節」は、当時の若者たちの型破りで奔放な風俗と生活ぶりを、過 激な性描写をまじえて扱った小説である。石原知事は「表現・言論の自由」 が保証された社会だからこそ、名声を得ることができた。
ところが、石原知事は記者会見で、今回の改正を正当化するため、1972年発 行の自著「真実の性教育」で「いかなる書物も子供を犯罪や非行に教唆するこ とはない」と表明したことを、「その頃、私は間違っていました」と述べたという。  
その一方で、知事は今回の規制の対象になるアニメが「変態を是認するような もの」に限られており、執筆や出版を禁じるのではなく、「子供の目に触れな いようにしただけだ」と条例改正を適切と主張した。
石原知事が言うように、一部のアニメに正視に堪えないものが存在するのは事 実だし、そういうものを我が子の目に触れさくないという親が多く存在するという もの頷(うなず)ける意見だと思う。
しかし、だからといって、自主規制主体の枠組みを軽視して、いきなり石原知 事のような変節をするのは短挌過ぎる。というのは、本来、行政は、「表現・ 言論の自由」のチェックを受ける立場にあるからである。日本政府であれ、東 京都であれ、行政機関は「表現・言論の自由」を規制する任務に不向きなので ある。
では、どうすればよいのか。参考になるのは米連邦通信委員会(FCC)である。 FCCは「独立行政委員会」の1つだが、何から独立しているかというば、行政 機関である「大統領府」から独立しており、立法府の議会の意向を尊重しやす い組織なのである。この成り立ちが、FCCが放送やインターネットを果敢に規 制できる根拠となっている。
各条例への反対は、未だ根強い。外形標準課税や新銀行東京の失敗も、突き 詰めれば役割の逸脱が原因である。誰が規制にふさわしいか。再考に値するので はないだろうか。

(余談8)まあ、まずは、違憲内容を削除して欲しいが、本筋としては、そもそも、著作物の享受者の範囲を定めるのは、著作者の権利とも思える。
従って、大ざっぱに、まず、某条例は「市販される著作物は、その著作権を有する個人もしくは組織が、それの視聴者、読者、購入者の年齢層を、定め、著作物へ表記すると共に、その著作物を販売する個人ならびに組織は、その販売に際し、先の年齢層以外の目に直接ふれない方法で販売する義務を有する」みたいな修正はいかが?
更に、年齢層の指定方法については、任意の年齢範囲とせず、幾つかの区分をガイドラインで定め、原則、販売対象の年齢層の表示がない著作物の販売を禁じる。なお、発行済みの著作物は販社の自主的判断もしくは、著作者へ確認し、販売方法を決定するなどとか。
結局、アダルト向けの著作物を、児童以下に買わせようと考える著作者や物流/販会は、ビジネス上も合理的でない。そもそも、児童以下が、お金を自由使える訳でもなく、そんな著作者はいないだろう。(追記:2011年3月26日)
                                         以上

注)以上、虚偽の内容はないですが、面白く読んでいただけるように、多少、大げさな表現を含んでいますので、ご了承下さい。

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2009.05.31

バーチャルとリアルの狭間に -3.5-

最近、ふと、思いついたのだが、同じ場所に居合わせた人や物は、ある意味、視覚を共有しているとも見れる(実際には、被写体を、視覚が、共有しているというのが正しいが、脳組織からみると、区別はできない)。さ て、そうなると、人でないものでも、視覚があれば、ITを駆使して、視覚を共有しても良いのではと。例えば、ロボットや監視カメラと、視覚を共有するとい うことで、私(人間視点)が、ロボットだったらとか、監視カメラだったらという観点で、視覚の共有ができるか。逆に、私(ロボット視点)が、人間だったら とか、その他の動物だったらという観点で、視覚の共有ができるか。こんな感じのインスピレーションです。新しい技術が必要かどうかは不明ですが、まずは、 ライフスタイルとして、ロマンを感じることができるかが、先決。

09053106_3 最後、人と物が、視覚(センス)の共有した先は、やはり、「物が人格を持つ」へ飛躍するしかないよね(但し、これは、唐突に人工知能/人工人格を創造するので なく、多分、人の力を借りて、物が、人間の子供と同じように育てられ教育されるプロセスを受けることで、人格を持つようになるということだと想像してま す)。そうなると、オンラインゲームECOの背負魔みたいに、取り憑かれているようなイメージに近いか(^^;。

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2009.05.15

バーチャルとリアルの狭間に -3- (過去記事紹介)

(パート1) 最近、オーギュメンテッド・リアリティ(AR)が、思いがけなく、iPhoneで盛り上がっているようだ。これは、何年か前のACM Siggraphのイマージェンシ・テクノロジコーナで、PDAを使って、原理的なデモ展示がなされいていたものと同程度。PDAが絶滅しようとしているなか、携帯電話が、気が付かない内に、GPSや3D加速度センサ、ビデオカメラ、通信など、AGに必要な環境を備えてしまっている。最近のAGスタイルは、どこの町中でも、アノテーション付きで、町の景観がみられる魔法の虫眼鏡といった感じのようだ。(2009年1月記事)

09051902 左図は、ARスタイルでのデータセンタ保守のイメージ。上記の記事を書いたときに、同じような挿絵を描いたのだけど、ハードディスク故障で消失。今日(5月19日)、思い出しながら、描き直しました。まあ、ひと昔前のデバイスと比べると小型化が進んでいるものの、ARライフとして、日常的に身に付けるには、まだまだという感じもしてます。近い将来に期待してます。

ちなみに、ACM Siggraphに、ARのセッションがあって、色々、面白い発表がある。最近、ちょっと見れないないが、大分前(ACM Siggraph 2001)のコースノート「Augmented-Reality: The Interface Everywhere」(チュートリアル相当)では、透明なガラスのコップ(本物)に、CGの懐中電灯で光を当てて、リアルタイムに、コップの影などが、CGで生成され、合成され、あたかも、本当の懐中電灯でてらしているかのような映像が生成されるというデモをみた。フレームレートは6fps程度で、画像サイズは、100~200ピクセルの正方形程度。そのときから、もっと進化しているのかしら?

最近だと、コンシュマー向けでも、こんなヘッドマウントディスプレイ(3DWin iWear VR920)も、販売されているみたいね。

(後日追記: 今、思い出したのだが、HMDだけが、AGの表示デバイスではない、過去のACM Siggraphの発表では、懐中電灯のような携帯液晶プロジェクタ(3Dセンサ付き?)で、何か物体を照らすと、物体表面をスクリーンとして、付帯情報が映し出すという仕組みの発表もあった。ただし、物体が黒ぽいと、スクリーンには向かないと思う。もしかすると、フォログラムスクリーンシートを表面に張っておく程度でも対策可能かもしれない。)

(パート2) ちょっと唐突だが、データセンタで、思い出した。何カ所かに在るテータセンタの運用管理を、どこか別の場所(一カ所)から遠隔運用管理するなどの話題も、盛り上がっているようだ。この話題で、頭によぎったのは、昔ながらの、工場の製造ラインの出番の、リモートセンシング&リモートコントロールで、データセンタでは、その対象が製造装置でなく、サーバ装置、ストレージ装置などになったものかと重なるものが多い。現在のデータセンタの運用管理に先立ってか、偶然とも思えるが、放送局向けに、ニュース映像編集(ノンリニヤ)から、オンエアまでの制作作業環境とワークフローの提供と管理に関して、必要なメタファー(ここでは、操作対象の単位)を、仮想アイテムとして代表させ、ディスプレイとキーボード、マウスでの操作で、必要な装置(ビデオデッキ、ビデオスイッチ、ライブラリ、等)を、リモートコントロールするようなことを、大分昔に、米国に特許出願し、登録されていた(下表)。

No. 特許番号 発明名称
1 US5,905,983 "Multimedia database management system and its data manipulation method"
特開平10-011339
(1996年6月出願)
「マルチメディアデータベース管理システム」
2 特許3287240
(1996年11月出願)
「ビデオサーバ用映像入出力装置」

この特許のアナロジーでも、ある程度、現在のデータセンタの運用管理を、検討/考察できそうに思えるが、今のスタイルに合わせたものへ見直す必要はありそうだ。今、思うと、この時期(ディスク装置の容量も少なく容量単価も高く、Winの32ビット版の出始め)に、この内容は、大分、大胆であったかもしれない。今、明細書を、見ると、自分で本当に書いたのかと思うぐらい内容だった(^^;。まあ、今でも本質は変わっていないが、当時は、事業部の課長当たりから、鬼(少なくても、良い意味ではないね)とも呼ばれていたこともあるので、こんなものかな。

あと、これを工場の生産ラインの装置の遠隔運用や遠隔管理に相当すると見ると、やはり、オチとしては、生産工場で働く、カメラ付きの操作マニュピュレータ達が、ディスプレイに表示される操作画面をカメラで認識しながら、キーボードやマウスを使って、操作することで、サーバやストレージ、スイッチなどのIT機器を操るというシュールなイメージも、まず浮かぶのだろうね(多分、20年弱前は、まだ、難しそうであったが、現在の技術水準で実現可能になってきていると思える)(^^;。(2009年5月記事)

あと、ここで、「リモート」や「遠隔」と書いているのは、同じ意味で、テレビのリモコンのリモートと同程度の意味で使ってます。距離的には、地球の裏側とか、月面探査とか、遠くてもかまわないですね。

(パート3) ARとは、一見、別の話になるが、仮想現実感(VR)の技術は、当然、ARのベース技術の1つとなる。この辺の関わりも、過去、あったのかと思い出すと、工事現場の安全管理に関する案件にも関わっていた。

09060602 1997年頃の話で、多分、当時のShade Professional(自前で買い込んでいたもの)で、お試しで、プロト映像(3DCGアニメーション)を作成したものだ。この題材は、まさに、リアルであるにも関わらず、映像は、バーチャル(3CG)である。当時の3CG技術では、まだ、フォトリアルに作ろうとすると、モデルのポリゴン数やテキスチャ画像などが増大し、大分、編集操作応答性劣化やレンダリング時間の増大が起き、左映像が、お試しに作るにはやっとであった。

現在に至っては、このようなバーチャルの工事現場が、リアルの工事現場と区別がなく、シームレスに連続的に見えるビューを適用できるようになっているかもしれない。

あと、もう一つ、Mixed Realityなる分野も気になる。これは、極端に言うと、バーチャルの世界に、リアルの世界のビューの一部を、部品として取り込んむというものだ。画面上、プォトリアルに、はたまた、面白く、シュールにと多彩なビューや表現を見せてくれる。このやり方の逆もあり、リアルの世界に、バーチャルの世界のビューの一部を部品として使うというやり方。例えば、家電機器やIT機器のフロントパネル(操作パネル)の全面に、フラットな表示パネル(液晶のような感じ)が貼られていて、複数の機器が上下左右に積むと、全体で1つのディスプレイになるよう仕組みを想定して、それぞれの機器のフロントパネルには、ビデオカメラやセンサ(タッチパネル含)を付けておき、外界の刺激に対応して、フロントパネル群に表示を行うようなシステムというものになるだろう。多分、方法は、異なるが、巧く作れば、上記のパート1と同じようなことも提供が可能にも思える。また、このような観点では、Art. Lebedev Studioの製品なども、活躍しそうだ。

とりあえず、今は、なかなか、面白い時代になっているとも言えるだろう。これは、余談だったが、参考に、記しておく。

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バーチャルとリアルの狭間に -2- (過去記事紹介)

2008年2月25日、YahooJapanニュースで、見つけたのだけど、記事「IBMが『Second Lifeのように』データセンターを管理する新技術」とな(YahooJapanの記事は既に削除されているので、こちらをご参照、http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/23/news007.html )。しかし、これでは、管理者は、むしろ、疲れそうだ。これが主流になるのかしら? 面白いだけかもしれない? このアナロジだと、次は、ニーズとは無関係に、オーギュメンテッド・リアリティ版かしら(^^;?

でも、オーギュメンテッド・リアリティは、そもそも、設備の保守の効率化を図るために考案された技術分野だったね。そうだとすると、ハードウェア保守に関しては、必要になる可能性も高い。(2008年2月記事)

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バーチャルとリアルの狭間に -1- (過去記事紹介)

パラダイムは、「バーチャルとリアルの融合」から始まって、「バーチャルとリアルの一体感の向上」へと、色々、フェーズシフトしているようだ。

「バーチャルとリアルの一体化の向上」は、リアル世界に存在する人間にとって、バーチャル世界の存在の信頼性と利便性の向上に影響し、バーチャル世界の存在の自己同一性の実現を図るものだろうと考えている。

最近、IT関係では、仮想化技術の話題が、盛り上がっているので、同じアナロジーが、ありそうに思う。まあ、忘れてはいけないことは、人間の使うものは、 人間が存在しなければ、定義されないものであり、理学でいう宇宙の真理とは、全くことなるシステムのものだ。簡単にいうと、追求する真理や理想というも絶 対的な基準がある訳ではなく、人間の自作自演である。つまり、仮想化された世界は、まさに、この部類となる。これを、踏まえると、人間の経験的な利便性の 記憶(体験)に合う形態へ、フィットすることが、自然なアプローチかとい考える。一方、リアル世界と仮想世界がシームレスで、区別が付かなければ、使う人 にとって、仮想世界が無いものと同じということになる。この辺のバランスをどう考えるかが、多分。特徴になるのだろう。

Hb4_3 日本のアニメ/コミックであるが、「甲殻機動隊」、、、、「電脳コイル」、、、色々、何かを求めているようだ。

それにしても、NHKアニメ「電脳コイル」の世界観って、「はねっこくらぶ」で、2002年頃から、プレビュー公開している「はねっこ文庫」の5巻、9巻、10巻で、書いている「バビロンの終焉」に似ているかもね。(2007年9月記事)

一見、身近な事柄でないと思われるかもしれないが、実は、そうではない。例えば、IT経由で、本人を確認する方法などが、この辺の議論の範疇となる。第三者から、如何に、貴方は、本人と確認されうるのか? 貴方自身は、何故、貴方自身を本人確認できているのかもそうである。そして、貴方が本人と確認したものと、第三者が本人確認したものが、同じである確認など、色々、本質的な問題なのである。言葉の遊びと思われる人もおられようが、計算機のプログラムは、言葉そのものので記載される情報に基づいて処理を行う以外ないものであることを、お忘れなく。遊びでもなく、人ごとでもなく、現実のものなのである。

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ユビキタス・ゲーム・エンジョイメント -3- (過去記事紹介)

050613021 数年前の米国ACMの学会誌CACMに、「Augmented Quake」が特集されていた(興味のある方は大学の図書館で探してね, http://cacm.acm.org/magazines/2002/1/7160-arquake/abstract , http://dl.acm.org/citation.cfm?id=594104 )。「Quake」は、割と有名なPCゲームのタイトルである。 「Augmented」は、「Augmented Reality」から来ている。ビデオゲームへの「Augmented Reality」の適用は、「いつでも何処でも(ユビキタス)」のエスカレーションの1つの形態と、考えているが、リアルとバーチャルの区別が、付かなく なる元凶ともなりそうだ。現代技術では、重たいヘッドマウントディスプレイ(HMD)やコンピュータや通信装置、位置/方向センサ、などなど、身に付け て、遊ぶことになるので、なかなか、体力も忍耐も必要かもしれない。ACM Siggraphでも、ここ数年、「Augmented Reality」を適用したゲームの展示が、なにがしか、行われているが、現状のビデオゲームと比べれば、まだまだである。また、この技術の普及には、コ ンテンツの内容の重要だが、今後のデバイス技術の進歩に、大きく依存するだろう。
でも、士郎正宗作のコミック「攻殻機動隊」の世界観のように、将来、人類が、リアルとバーチャルが同等に扱うようなライフスタイルや文化や社会を、採用す る可能性も大いにあるので、暖かく見守ろうと思う。少なくても、人類は、古代、物々交換、貨幣経済、信用経済へと変遷を経験しているので、この手のこと は、全く、初体験ということではない。この意味では、今は、まさに、「ユビキタス・ゲーム・エキサイティング」な時代かもしれない。(2005年6月記事)

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ユビキタス・ゲーム・エンジョイメント -2- (過去記事紹介)

(パート1) 映像と音声の両方の仮想化を、一気に進めるというのも、現実問題、無理がありそうだ。とりあえず、音声の仮想化が、実用的にも、普及が進む可能性が高いと 思う。「音声の仮想化」とは、現在、耳で直接、聴いている音も含めて、全ての音を、メタファ(例:ヘッドフォン)を介して、聴くところから始まる。リアル な音場は、そのヘッドフォンの音で、再現され、その方向なども、実態にあるように聞こえてくる。このシステムの中で、電子機器などからの音声を合成して、 聴く訳である。。。
例えば、TVは、直接、スピーカで音を発生させる必要は無く、通信でヘッドフォンへ音声を伝え、その位置関係を再現した音を、聴かせることになる。つま り、どんなに大きな音で聴こうが、他人の迷惑にならないメリットもあろう。また、携帯電話やパソコンの音声も、ヘッドフォンから聴けるようにする。その ユーザの音場を、個人ごとに仮想的に再現するシステムとなる。この手のヘッドフォンは、Xウィンドウ・アーキテクチャの命名方法を基本とすると、「ヘッド フォン・サーバ」とも言うべきものだ。各人は、このヘッドフォン・サーバを携帯/装着して、日常、暮らす。
05061906 また、応用としては、電気自動車が普及すると、エンジン音などなくなり、かなり静かになるので、安全のために、あえて仮想的に、エンジン音を再現して、歩 行者や、他の運転手に、聴かせる必要もあるかもしれない。また、電子広告も、実際いには、音を出さずに、広告塔の位置にあわせて、ヘッドフォン・サーバ経 由で、音声が聞こえるなどすれば、万人が騒音で、迷惑することもないだろう。
  想定できる問題点としては、現在、電子メールがスパムメールで、迷惑している状況が、このヘッドフォン・サーバでも、同様な問題が発生して、日常的に、装着してられなくなることもありうる。何がしかのセキュリティ機能が用意される必要もある。(2005年6月記事)

09061303_2 (パート2) この記事のイラストが、サーバ障害で消失してしまったので、描き直したものが、左画像。この記事は、一眼レフデジカメ内蔵の液晶ディスプレイが大形化してきて、なかなか、カメラのボディが、スリムにならないことを残念に思う。それを解決するため、ファインダーから覗く画像を、アイコンタクトディスプレで見られるようにしてくれれば、カメラのファインダーを覗く動作も省けて、機動性も断然、改善されると、カメラメーカへ要望したい。これが提供されると、新しい観点のゲームも出てきそうだし、楽しみな分野だ。(過去記事)

(後日追記) 2009年6月の某展示会で、Nikonが、アイコンタクトディスプレ付きのステレオヘッドフォンを展示していて、近い将来、一眼レフデジカメとの連携の可能性もあるとか。期待は大きい。

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