バーチャルとリアルの狭間に -4-
特に、著作権において、譲渡可能な権利と譲渡不能な権利があり、受託制作の契約上、譲渡不能な権利をどう扱うのか。
譲渡不能な権利とは、例えば、著作者が、著作物の著作者である権利。これは、事実に基づかざるおえないので、著作した本人以外になれない(但し、市場向けに偽装することはできるが、法的に、本質的ではない)。このこと自身は、特に、問題を起こすとすれば、著作者が犯罪を犯したり、反社会的なイメージを有する状態になった時に、市場において、その著作物への評価に影響が出る。この点は、依頼先の与信を、ちゃんとやること、通常の商取引の範囲を超えない話で済む。
さて、当時、契約書作成で、話題になったのは、「著作者の人格権の行使への対応」ということ、、、、
この人格権が著作者によって、自由に行使されると、受託制作で作ってもらった著作物でも、著作物の利用において、微々たる修正でも、必ず、著作者の確認を強いられるなど、作業上、重たい負担が発生するので、契約書では、例外条項は含めるにしても、基本的には、人格権の行使をしないような条項を付加する。
この人格権と著作物の間の関係をブレークダウンすると、著作物を特徴づける要素を、他人の利用において、勝手に変更したり、否定するようなことが、著作者の人格権を侵害するという考え方になる。著作者は、生みの親であり、変更不能である状況で、その著作物が、著作者の人格を否定するような利用がなされたときに、顕著に行使される。例えば、平和主義者の著作者作ったマスコットキャラ(著作物)を、好戦的なキャンペーンのマスコットに使われことなど、使われ方で、著作者の人格が、第三者へ、著しく誤って認識される事態などである。
さて、ここで、著作物を特徴づける構成要素が何んであるかが、興味深く、、、、
考えられる。何か、ストリー(作品)の登場人物であれば、そのストーリの世界の中でも、職歴やプロフィールもある。この場合、登場人物を部分利用によって、その作品が、台無しにされたり、矛盾が生じ、作品性が失われるなることも、人格権の行使の対象となる可能性が高い。
著作物の利用に対する人格権の行使に関しては、著作者が、作品の創世に際して、著作物を特徴づける要素を、出来るだけ、定義して宣言してくれていれば、将来のトラブルに関して、法的な処置が円滑になるとも期待が出来る。まあ、当時の制作依頼先の著作者は、キャラクタの動きや振りに関して、こまごま自分で指定しないとと、自分の作品としての質が維持できないというような「人格権の行使」を行ってきていた。これは、大分、負担のかかる著作物といういうことでもあったが、当時の利用は、期限付きのビジネスのフィジビリティスタディのためのインターネットポータルでの利用という、短期で狭い範囲での利用でもあり、ある程度の著作者の事前チェックを受ける条件で、契約を結んだようだ。でも、著作者の作品へのこだわりを否定するものでは無いのだが、受託制作においては、金銭的な割り切りと、黒子的な役割が求められる。
また、この受託制作に関しての反省点としては、依頼者と著作者の間の信頼関係が重要であること、依頼者も、著作者への丸投げでなく、発注仕様として、キャラクタ の人格や利用シーンを、言葉で説明し尽くすべきであること、何が好きで、元気になるとなど、絵は描けなくても、言葉を尽くして、著作者へ伝え、理解を得る べき、そして、それを発注仕様として契約書に添付しすることで、言い尽くした範囲で、利用の許容を得る努力をするのが、両者にとって、蟠りが少ない取引と なると感じている。
そうなると、作品の登場人物やマスコットキャラの人格(特徴)を定義する要素は、法的な効力をもって、定義可能と読み替えることもできる。構成要素として、例えば、性別や年齢を、著作者が決めていれば、それが、法的な効果を持つ(逆にいうと、これは、法律の限界)。また、ベースのストーリーあっての登場人物であることとは、例えば、登場人物が、XXX小学校に通う小学生であれば、それを、高校生と読み替えてしまうと、ストーリーにおけるその登場人物を登場させる必然性は消滅し、作品性に矛盾が起きる。なお、容姿(画風など含む)だけを特徴要素にすることは、実世界でも、容姿が、中学生な成人とかもいし。容姿が、老人の児童もいるので、法的に、実世界の人間を否定する行為に陥る危険性も大きく、基本的な方向性としては、適切でない。
現法上、著作権法と基本的人権が主だが、それらに基づくと、著作者の人格権をHUBにすることで、作品の登場人物やマスコットキャラは人格権を有するかのように扱える可能性が高いと感じている。。。。
最後に、某自治体の条例案で、「非実在」などいう法律では適切でない言葉を利用した条例案が再審議中ともなっているが、これは、大分、法律の仕組み上、極めて、よろしくない。また、現法上、ベースすべき著作権法や基本的人権(憲法)を、無視した唐突な議論も、極めて、よろしくない。
流通上、今の時代において問題(将来も問題かは別で、継続的な見直しが必要)のある著作物(小説、漫画などの形態に依らず内容が対象とし、法平等性も担保すべき)に関して、規制をかける上で、法的に、円滑な処理を期待するのであれば、著作物の登場人物やマスコットキャラクタの人格権の行使の要素として、性別、年齢を定義/明示することなどのガイドラインや、明示された情報に基づき、流通販売方法に関するガイドライン/規制を実施するというような観点もある。
但し、市場流通しない著作物に関して、規制すべきではない。この問題は、実害が、発生ない状況での取り締まりは、思想の自由という基本的人権を侵害する可能性が高い。
とりあえず、現状、何の規制もない状況であれば、意味も無く潔癖な規制を発案する必要性も感られない。実現が確実に可能な範囲での規制から取り組むべきで、実用性もなく、過度に潔癖な規制を発案(基本的人権の侵害の恐れもあるような構想)は、市民生活を混乱させる迷惑な行為としか評価できない。
もう一つの混乱要素として、法文で、「非実在」の意味の言葉が使われるケースで、虚偽や詐欺、文書偽造というい事実の表現で、これとも、区別される必要が あること。詐欺で良く出てくる架空の人物とかも、「非実在人物」となる。言葉の乱用で、裁判も、混乱する状況になりかねない。
この記事の結論の1つとしては、「非実在」という言葉は、不要でかつ、法文や条例文での使用は厳禁、「著作物の登場人物」で良いという結論。何と言っても、実在 しないものを、法文で定義するというのは、大分、変に感じてます。別の分野でも、同じようなアナロジーで、この手の法文が乱用されることを、大きく危惧するところです。過去、廃案なった類似法案としては、確か、共謀罪ってものあった。これも、大分、慎重な精査が必要なものだ。
もう一つの結論は、著作物の登場人物と言えども、人間と同様、尊重しましょうということ(著作者を介して、その登場人物に人格権があるものと同等の法的な権利の行使が可能であること。実用上の見なし人格権とでも言うか)。
最後に、流通に関する規制と見たときに、漫画だけというのでは、いかん話です。流通する全ての著作物(小説、漫画、静止画、オーディオ、ビデオ、放送)に、平等に課せられる規制にすべきでしょう。どこぞの特定な事業者利益を守るような不公平感が漂います。
まあ、個人的には、大分、法 律上の興味深いネタで、興味本位のレベルだと、法律って、面白いよね。
- 税金の無駄使いのハブになるのが落ちなので、映倫や日本著作権協会での番号管理の拡張などでいいじゃんとか言いたい。 何にしても、自民党に投票する事はないけど。 (at)LTW 自民党が公約した
- なんか、公約の対象にする程の事なのかどうか、大分、疑問も感じてきている。誰かの利権のために動いている可能性が疑われるね (at)LTW 自民党が公約した
- 本質論がさきだね。実害や実犯罪の原因の一部になっている因果関係の根拠とは? @lain_the_wired 自民党が公約した
- 今日、実は、駅で、小人症と思われる女性(身長が1メール弱)を見かけました。作品を見かけだけで判断するといいう方法論は、実物の人間に差別につながる危険性も大きい。内容を精査する必要もあるとなれば、小説も当然対象。 (at)LTW 自民党が公約した
- 結局、この前に条例も、実物の人間の差別を、ものともしないモンスタペアレントからの発案と考えたい。モンスタペアレントの対策も急務だ。 (at)LTW 自民党が公約した
- 国民は法の基の平等が保証されるのであって、法が、理不尽に、人を差別する基準になっては、本末転倒!
- 法の基の平等としても、「モンスタペアレント」は、実害を出している実体の総称なので、人の差別とは違う。
いつも威勢のいい発言で注目を集める石原慎太郎知事だが、この原点といえ ば、一橋大学在籍中に執筆した短編「太陽の季節」で芥川賞を受賞した鮮烈 なデビュー劇といってようだろう。
「太陽の季節」は、当時の若者たちの型破りで奔放な風俗と生活ぶりを、過 激な性描写をまじえて扱った小説である。石原知事は「表現・言論の自由」 が保証された社会だからこそ、名声を得ることができた。
ところが、石原知事は記者会見で、今回の改正を正当化するため、1972年発 行の自著「真実の性教育」で「いかなる書物も子供を犯罪や非行に教唆するこ とはない」と表明したことを、「その頃、私は間違っていました」と述べたという。
その一方で、知事は今回の規制の対象になるアニメが「変態を是認するような もの」に限られており、執筆や出版を禁じるのではなく、「子供の目に触れな いようにしただけだ」と条例改正を適切と主張した。
石原知事が言うように、一部のアニメに正視に堪えないものが存在するのは事 実だし、そういうものを我が子の目に触れさくないという親が多く存在するという もの頷(うなず)ける意見だと思う。
しかし、だからといって、自主規制主体の枠組みを軽視して、いきなり石原知 事のような変節をするのは短挌過ぎる。というのは、本来、行政は、「表現・ 言論の自由」のチェックを受ける立場にあるからである。日本政府であれ、東 京都であれ、行政機関は「表現・言論の自由」を規制する任務に不向きなので ある。
では、どうすればよいのか。参考になるのは米連邦通信委員会(FCC)である。 FCCは「独立行政委員会」の1つだが、何から独立しているかというば、行政 機関である「大統領府」から独立しており、立法府の議会の意向を尊重しやす い組織なのである。この成り立ちが、FCCが放送やインターネットを果敢に規 制できる根拠となっている。
各条例への反対は、未だ根強い。外形標準課税や新銀行東京の失敗も、突き 詰めれば役割の逸脱が原因である。誰が規制にふさわしいか。再考に値するので はないだろうか。
従って、大ざっぱに、まず、某条例は「市販される著作物は、その著作権を有する個人もしくは組織が、それの視聴者、読者、購入者の年齢層を、定め、著作物へ表記すると共に、その著作物を販売する個人ならびに組織は、その販売に際し、先の年齢層以外の目に直接ふれない方法で販売する義務を有する」みたいな修正はいかが?
更に、年齢層の指定方法については、任意の年齢範囲とせず、幾つかの区分をガイドラインで定め、原則、販売対象の年齢層の表示がない著作物の販売を禁じる。なお、発行済みの著作物は販社の自主的判断もしくは、著作者へ確認し、販売方法を決定するなどとか。
結局、アダルト向けの著作物を、児童以下に買わせようと考える著作者や物流/販会は、ビジネス上も合理的でない。そもそも、児童以下が、お金を自由使える訳でもなく、そんな著作者はいないだろう。(追記:2011年3月26日)
以上
注)以上、虚偽の内容はないですが、面白く読んでいただけるように、多少、大げさな表現を含んでいますので、ご了承下さい。
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コメント
以下のURLで引用・参照させていただきました。
uRL【 http://ihopewin.exblog.jp/11015495/ 】
失礼します。
投稿: mashiei | 2010.04.27 21:14
都議会で、否決になったのか。
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/bill/2010_t2.html
誰かさんでも、再チャレンジは、「修正」とは言わず、「作り直し」と言ってくれ。「修正」だとすると、未来永劫、反対するしかない(;^ω^)
投稿: Digi-P | 2010.06.17 06:29